ボランティア

1998年より2003年までの6年間に渡り、通称”Flying Doctors of Mercy"というアメリカボランティア治療団体”LIGA"のメンバーとしてメキシコのSonora及び、Sinaloa郡の無医村地域に軽飛行機で飛び回り毎月1度のボランティア治療にあたる

 

Dr.吉沢のメキシコボランティア診療旅行記パート1 

“アラモス” その1(1998年3月)

メキシコの中部、位置的にはバハカリフォルニアの南の突端から内海を東に越えて50~70マイルほど内陸に入ったあたりにサンブラス、エルフエルテ、エルカリッツオという小さな村々が点在しています。そのそれぞれの村にボランティアの人々によって作られた無料診療所があります。そこに毎年10月から翌年の6月までを1シーズンとし、毎月第3金曜日の朝に出発し金曜の夕方から土曜の夕方まで、医者にかかれない現地の人々の治療にあたっているのが様々な専門医、薬学士、看護婦、パイロット、通訳、そして医学生等で成り立っているLIGAというボランティア団体です。このLIGAは、もともとはあるアメリカ人医師が自分自身でセスナを操縦し、メキシカンインディアンを治療した事から始まった医療ボランティアで、別名“Flying doctor of mercy”とも呼ばれています。現地の診療所近くの飛行場は滑走路が舗装されておらずジェット機では離着陸できないことから、毎回およそ10~20機の小型のセスナ機がカリフォルニアの様々な飛行場からメキシコのそれぞれの目的地へと飛び立ちます。

 始めにこのメキシコボランティア治療の話を聞いたのは、薬学士であり針灸師でもあるドクターからでした。この人物は日系2世、自身が戦後キャンプ生活を強いられた経験を持ち、なんとこのボランティアを25年もの間続けているのです。私自身も学生時代に30時間ほどセスナの飛行訓練をした経験があることから、セスナでメキシコに行くという事に魅力を感じ参加することを決めました。後でわかった事ですが、今ではこのドクターのみがこのボランティアが始められた当時のままのやり方を続け、当時の飛行経路をたどり土地の人々と触れ合いながらボランティアを続けているのです。このドクターと出会ったことで、たくさんの楽しい??出来事やさらに素晴らしい人々との出会いが生まれ、痛みで困っている人々の力になれるということに加えて、今ではそれがメキシコボランティア旅行の大きな魅力となっています。というわけで、このボランティア旅行の感動的な第一回目をまずは紹介しましょう。

第一回目(1998年3月)登場人物 
1.パイロット、ドクターK、日系二世で、針灸師、薬学士、謎の60歳
2.ボブ、医療助手、72歳、アイリッシュアメリカン、趣味は自分で歌った歌を録音して人の迷惑をかえりみずに機内で聞かせること。これがかなりすごい。
3.セラ、薬学士、24歳、ダッジトラックを乗り回し、酔っ払うと裸で踊りだすワイルドウーマン。
4.私、カイロプラクター

 今回私にとって初めてのメキシコボランティア旅行は、これから先長い間関わっていくこのボランティア経験を象徴するようにやや頼りない形で幕を開けました。というのは、何の予備知識もなしにパスポートだけは忘れないようにと何度も確かめながら、興奮と不安の入り混じった不思議な気持ちで指定された待ち合わせ場所ロングビーチエアーポートに着くと、そこには誰もいないのです。待つ事1時間あまり、ぽつりぽつりとメンバーらしき人間が集まり、2時間遅れてパイロットでもある例のドクターKが現れ、「悪い悪い、セスナのエンジンがかからなくって少し手間取ってしまった。」という一言。実は私、セスナの訓練中にエンジンが止まって危うく着水!!というところまでいったことがあるというこわ~~い経験の持ち主、なんだか嫌な予感がよぎりました。

・・この時には、飛行機のエンジンが止まるくらいはたいした事じゃないんだと思えるような貴重な??体験をこの先何度も何度もする事になろうとは知る由もありませんでした。


 彼のセスナは、私が10年前飛行訓練時に使っていたのと同型のセスナ、4人乗りのシングルエンジン、そして、か・かなり古い!というわけで思いっきり緊張感あふれる珍道中の幕開けです!まずはアメリカ・メキシコ国境のアメリカ側にあるアリゾナ州カレクシコという飛行場に着陸。出国手続きを済ませて次の目的地はメキシコのプエルトペニャスコ。そこで入国手続きとガソリン補給。ところが、まわりを見回しても飛行場には滑走路と小さなオフィスがある掘っ立て小屋以外、飛行機燃料の給油所らしきものは一切見当たりません。するとドクターKが掘っ立て小屋に彼自身が備え付けたというポリタンクを両手にかかえ、近くのガソリンスタンドまで自動車用ハイオクタンを買いにいくというのです。「え??じ、自動車用のでいいの??」という私の質問に、「いつもだいじょうぶだよ。」とにっこり笑って答えるドクターK。いつも大丈夫って事は構造上大丈夫って事なのか、それともたまたま大丈夫が続いているのか?という私の不安をよそに飛行機には何事も起こらず順調に飛び続けました。後であらためて聞いたところ、「ハイオクタンであれば構造上問題はないとインターネットで調べた。」というますます怪しい答えに、真剣に考えるのが馬鹿らしくなった私でした。


 次の目的地は、オブレゴン。ここでは書類の手続きと空港利用税などの支払いをする窓口に何人ものアメリカ人パイロットらしきグループがなにやらもめている様子。皆LIGAのメンバーらしく、どうやらLIGAのメンバーであればメキシコ政府から空港利用税の一部が免除になるはずだが、その話が通っていないという事でもめている様子。何でもメキシコの飛行場では法律がしょっちゅう(人によって??)変わり、もめ事は日常茶飯事らしく、結局免除は一切無しだと突っぱねられたパイロット3人は頭から湯気を出しながら「もうメキシコには二度と来ない!!」と、この週のボランティアを中止しアメリカに帰ってしまいました。その直後に我々のパイロットであるドクターKが、にこやかにその窓口に近づくと、さっきまではしかめっ面をしていたオフィサーが、「カト~!」(うちのパイロットの本名)と人懐っこい笑顔でスペイン語で話しかけ、何事も無かったかのように、我々はしっかり免除をも受けて通る事が出来ました。どうやらメキシコで「カト~!」を知らない人はいないくらいにこの人は有名なようです。メキシコでは「カト~Jr」で通そうとこの時決めました。

 無事に離陸後、金曜の宿を取る最終目的地のアラモス飛行場が見えた時には、時計の針はもう5時をまわっていました。上空から飛行場を眺めていると、20~25人のサッカー少年、少女達がばらばらと滑走路の方に走ってきています。そして着陸するやいなや彼らは飛行機の周りに集まってきます。するとドクターKが子供達を2列に並ばせ、一人一人に鉛筆とリンゴを一つずつ配り出し、私にもそうするように促しました。子供達は飛行機の音と色で誰が来たのかわかったらしく、こうやってリンゴと鉛筆をもらいに駆け寄ってくるのです。いまどきの子供だったらリンゴと鉛筆で、こんなには喜ばないだろうというほどに目を輝かせ、「グラシアス!!(ありがとう)」と言う子供達を見て、なんだか熱いものがこみ上げてきました。この気持ちがこの後何度もこの地を訪れることになる原動力になったことは疑いようもありません。

そしてドクターKはこれを25年間続けていたのでした。