メキシコボランティア診療旅行記パート1続き

“アラモス”その2

もともとFlying Doctorのボランティアは、このアラモスという村で始まったそうです。ところが20年程前に現地医師とアメリカ人医師の確執が原因でアラモスの診療所は閉鎖されてしまい、今ではこの村に宿泊するボランティアは我々以外ほとんどいなくなりました。我々のパイロットのドクターKだけは時間の許す限り、昔の航路をそのままたどり、金曜日の夜はこのアラモスに一泊する事を続けています。アラモスという村は、私が中学の時に使った世界地図を見てみると、銀山として栄えていると書いてあります。ドクターKに聞くと、その通り昔は銀山として栄えていたそうですが、今ではもう銀も掘りつくし、観光客も来ないとてもさびれた田舎村です。ただ歴史的な建造物であるカセドラル(教会)や家並みはなんとも時が止まっているかのような風情で、なんだか失った物がここにあるようでとても心が落ち着くのです。この村の何ともいえない魅力にとりつかれここに住み着いてしまうアメリカ人が年々増えてきているのもなんとなくわかる気がします。「在るがままを“今”十分に楽しみなさい。」・・これが、ドクターKの口癖です。メキシコは外国人の移住者によって見る見るうちに変わっています。“今日”の状況は明日忽然と姿を消してしまう事があるから、今の状況があるうちに十分楽しみなさい、そうしないと将来、昔を懐かしんで戻ってきた時にはもうその時の状況は見る影もなくなっているということのようです。実際私がボランティアを始めて6年のあいだにアラモスもずいぶん変わってしまいました。アラモスの変化についてはまたあとで記述します。

さてこの村にはいくつかのMotelがあるのですが、ドクターKいわく「村で唯一、地下水をくみ上げている為にいつでも必ず!?暖かいシャワーが浴びられる。」と、とても信頼のおける??Motelにチックインを済ませて部屋に入ると、むき出しのコンクリの床にベッドが二つ、温水が出るまで10分待たないといけないシャワールームに、タンクに水がたまるまで10分はゆうにかかる水洗のトイレと、そして部屋の隅には映らないテレビがおいてあります。この頃スペイン語はまったくの私は、シャワーのノブに書いてあるマークの“C”はColdではなくCalor(Hot)のCと気がつくまで随分と寒~い思いをしました。安いのか高いのか宿泊費は一泊200ペソ(約20ドル)でした。

さて待ちに待った夕飯です。アラモスに来ると必ず行くレストランがあります。エルサおばさんがやっている土地のメキシコ料理屋です。飛行機に同乗した4人で中に入ると、例のごとく「カト~!!」と人懐っこい笑顔でおお~きなエルサおばさんがのっしのっしと近づいて来て、ドクターKに挨拶。私も紹介されると太い腕が2本伸びてきて、彼女のおお~きな胸の中に埋もれるようにハグされました。出て来る土地の料理は、アメリカで食べるメキシコ料理とは随分違い、トルティアから何から手作り、実ににおいしい家庭料理です。ビールはBohemiaというやつが一番メキシコ料理に合うと個人的に思います。デザートはフランというプディングのような物を食べましたが、卵がそのままという感じで、とても濃厚でかつ素朴な味でした。満腹でMotelに帰り、シャワーと悪戦苦闘したあとに、ベッドにたどり着くまでに又足が汚れてしまう事に気が付き、又ベッドサイドに明かりが無く、電気を消すと真っ暗で時計も見えない状況から、ビーチサンダルと、電気がつくアラーム時計と、そして懐中電灯が次回から必須アイテムとして加わりました。Motelの中庭にはたくさんの犬と鶏が放し飼いにされていて、村の端から始まる犬の遠吠えがだんだん近づいてきては遠くなってゆく繰り返しが朝まで続きます。それに鶏は朝に鳴くものだとばかり思っていた私の常識は一切ここでは通用しないということも思い知らされながら、私の初体験のメキシコの長~い夜は、なかなか明けないのでした。

 

次の日、私の行くクリニックはエルフエルテというアラモスから飛行機で20分ほどの小さな村です。患者さんの症状のほとんどは、農場での苛酷な労働からくる関節の変形や筋肉の痛みなどです。ところが、たまに肘関節がはずれたのを自分で違うところに戻してしまったために関節が変形しそして動かせなくなったから入れなおして欲しいとか、膝関節を手術でとられて金属固定されてしまったために足が曲がらない状態で、しかも左右の足の長さをそろえていないために反対の膝も変形し、激しく痛むのをどうにかしてくれという患者さん等が来ます。月に一度の治療で、しかも使える機材やサポート等にも制限がある中で、ほんの少ししか治療できない事にとてもフラストレーションを感じます。それでも治療後には、”God bless you” (神のご加護を)と、本当に感謝してくれている姿を見ると、「ああ、又来月帰ってこないとなあ・・」という気持ちになってしまうのです。                       

“アラモス”その3

パイロットのドクターKは、私が診療を行ったエルフエルテから飛行機で20分ほど離れたサンブラスクリニックで針の治療をしています。ですから、土曜の診療後3時半頃にエルフエルテの飛行場までドクターKが迎えに来るという予定でした。何しろ何もかもが始めての私は、遅れるとその後のスケジュールに影響すると思い、待ち合わせ時間に遅れないようにボランティアに飛行場へ送ってもらいました。しば~らく待っていたのですが、案の定4時になっても飛行機の音すら聞こえません。また飛行機のエンジントラブルか~?という不安がしだいに大きくなる4時半を回った頃でしょうか、やっと遠くから飛行機のエンジン音が聞こえてきました。ドクターKの言い訳は、「おばあちゃんがおしゃべりで、なかなか放してくれなかった。」でした。メキシコでは、全てが時間どおりにいかないようです。(誰のせいとは言いませんが…)さてそのメキシコでは、軽飛行機は日没後にはたとえ計器飛行のライセンスを持っていても飛んではいけない規則になっていて、日没後に着陸すると罰金を徴収されます。日没後に飛んでいる軽飛行機は、人の目をはばかるマリワナ輸送用の飛行機と判断されてもおかしくないようです。エルフエルテからその日の宿泊地のワイマスまでの飛行時間は約2時間です。この日、もし向かい風が吹いていたらおそらく罰金を払わなければならなかったようですが、風向きに助けられ、何とか日没ぎりぎりに無事着陸する事ができました。飛行機を降りると飛行場のいたるところから例のごとく「カト~~!!」。ドクターKはそのメキシコ人一人一人にいつものように挨拶・・というよりはスペイン語のジョークを含めながら長~い世間話をしていきます。エアーポートが閉まるとタクシーもいっせいに帰ってしまうので、残った3人で町まで乗せてもらうタクシーを捕まえ、運ちゃんともどもドクターKをしば~らく待ったのち、無事にその日の宿泊モーテルへと向かいました。ワイマスという町は内海に面していて、上空から見るととてもきれいな町です。シュリンプがおいしいと聞いていたので、夕食がとても楽しみです。

さてモーテルはというと、何と!!テレビが映ります!!シャワーも温水が出るのが早くなかなか快適。荷物を置くなりすぐにシャワーを浴びて、さあディナーです。レストランまでは直接行けば徒歩20分ほどなのですが、この日はおそらく2時間くらいかかったように思います。理由は、もちろんドクターK。まずはホテルの向かいのマーケットでおもちゃ屋を営むメキシカンジャパニーズの家族に挨拶を済ませます。そこのオーナーとは20年来の友達だそうで、オーナーの娘さんと自分の息子をどうにかくっつけようとしばらく色々画策していたようです。次はコーンカクテルという、ゆでたコーンをそいで作るスープをだしてくれる日本で言う駄菓子屋さんのようなところに立ち寄りちょっと味見。もちろんそこの娘さんのことも小さい頃から知っているらしく、今では立派なメキシコ美人です。そして今度はホットドッグのスタンドに立ち止まりつまみ食いをします。メキシコのホットドッグはソーセージにベーコンが巻いてあり、ベーコンから出た油でたまねぎを炒めたのがソーセージの上にのります。これがなんとも不健康ですごく上手い!!・・待てよ!今夜はシュリンプのはずだが・・いったいいつになったらシュリンプにたどり着くのだろう??という私の気持ちを察したのか「Are you warmed up?(ディナーのウォーミングアップはできたか?)」とドクターKが笑いながら聞いてきます。そうこうしているうちに、たくさんの釣り舟がつないである、港に面したレストランにたどりつき・・その日はドクターKのすすめるカマロン・デ・ミニヨンをオーダーしました。えびのしっぽの部分だけをくるくるっと巻いていってパテ状にし、いちばん外側にはベーコンが巻いてあるものをソテーし、かにの身をふんだんに使ったホワイトソースがその上にた~~っぷりとのっています。えびは新鮮でぷりぷり、ソースは濃厚でとてもうまい。やっぱりボヘミアビールとぴったりあうのでした。この夜は鶏も犬も鳴かずに満腹でぐっすりと眠りました。

 

次の日、日曜の朝は7時に待ち合わせて朝食です。ただその前に朝市を散策します。さぽてんのスライス(ステーキ用とソテー用の細かく切ったやつ)や様々な野菜やスパイス、革製品や肉。まるでここはアメ横か?という錯覚を起こしそうです。そしてその中にあるコーヒースタンドに立ち止まり、ネスカフェのインスタントコーヒーを一杯ずつもらいました。なんとここの店主は、インスタントのコーヒースタンドを25年余り続け、その収入だけで4人の子供を大学に送ったと誇らしげに話しています。そしてそのあとたどり着いたのは靴磨き屋です。ドクターKは毎月メキシコで靴を磨いてもらうらしく、私も同調して磨いてもらいました。

一回チップ込みで、約10ペソス(約1ドル)なのですが、この日はなんと、6~7歳の子供と親子2人で靴磨きをしていたので、きっとこの子は大きくなっても靴磨き屋を続け、もしかしたらこの子の子供も靴磨きになるのかな~などと勝手にセンチメンタル気分になってまい、ついついチップを沢山あげてしまいそうになりました。するとドクターKに、「ここに来たら、ここの基準で振舞わないと、彼らの生活のバランスが崩れる。」とたしなめられました。たしかにその通り、彼らはただ地道に働いているだけで(メキシコでは、日本と同じく小さな子供も両親の仕事をごく普通に手伝う習慣があるようです。)、それを勝手に勘違いして賃金の5倍のチップをあげたら、この小さな子供の中で何かが変わってしまうかもしれないな・・と思い直しました。その後ホテルの方向に帰る途中のレストランで朝ご飯を済ませてモーテルに戻ると、朝モーテルを出たときにはなかったタコスタンド(屋台のタコス屋)に大勢人が集まっています。もちろんここのオーナーのレオナルドともドクターKは古くからの友達です。日本風にいえば、屋台をひいて始めた商売が今では町に店を一件もち、さらに屋台もトラックで運ぶ大掛かりな物になり、地元の人からは大人気のフィッシュタコス屋さんです。朝飯は済ませましたが、出されるものはことわらないポリシーの私は、かなりお腹がいっぱいになりながらもまずはフィッシュスープを味見しました。えいひれとまではいかないのですが、ひれのゼラチンの部分が入っていてかなりうまいスープです!!そして魚の身が入っているタコスにライムをぎゅう~っと絞って食べると、ここにもひれが入っていてなんだか不思議と上手いのです。どうやらそこが秘伝のフィッシュひれスープ、人気の秘密なんでしょう。ドクターKも私も「も~食えない!!」というほどにお腹がいっぱいになり、とても幸せな気持ちで最後の荷物整理を済ませ、エアーポートに向かったのですが・・ところがあとでとんでもない事になってしまうのでした。             

“アラモス”その4

モーテルをチェックアウトしてタクシーを拾い、飛行場へと向かう途中にふと気が付いたのですが、私達が行くメキシコで乗りあわせるタクシーは必ずフロントガラスにひびが入っています。後に一緒にメキシコに行くようになったダン(謎のデンマーク人)に言わせると、「ひびの入っていないタクシーはにせものだ!!」そうです。そしてメキシコの町はいつでも排気ガスのにおいでいっぱいです。どうやらスモッグチェック(車検)がないためで、バスは黒煙、車は白煙を上げながら平気で走っています。さらにもう一つ、アメリカでは歩行者がどんな状況でも優先ですが、その常識はメキシコでは通用しません。信号が赤以外は歩行者がいても全然止まりません。皆さんメキシコに行ったら気をつけましょう。さらにさらにもう一つ、僕らが行くメキシコの田舎では街中でも車線はあってないようなもので、皆縦横無尽にごちゃ~~っと走っています。国民性が現れてますね。さて飛行場にて給油も終り、ドクターKの世間話も終わり、飛行機に乗り込むと次の目的地のプエルトペニャスコまでは3時間弱の飛行時間です。後パイロット席にはボブと私とで着陸するたびに交代で座っていますが、このときはボブの順番でした。行きもそうだったのですが、飛行時間が2時間を越えると、ドクターKはい眠りを始めます。寝る前に「Do you want to take over?」と一言いった瞬間に「かっくん!」と、一気に深い眠りについてしまいます。だいたい30分から長いと2時間ほど眠っている間は、後パイロットが操縦かんを握ります。私は飛行訓練を受けたことがあるので、軽飛行機を飛ばせますので問題はないのですが、ボブの場合は45年前に数時間飛行訓練を受けただけらしく、どうにもまっすぐに飛んでないのが気にはなっていました。さて離陸後、高度も方角も安定し、そろそろドクターKの昼寝の時間かな?と思っていると、いきなりドクターKが、「後ろの席の下にビニール袋があるからそれを急いでとってくれ!!」・・・「どうも朝に食べた物にあたったらしい」ととても苦しそうに言うのです。ドクターKの友達でフィッシュタコス屋主人の名誉の為にいっておきますが、彼は食品衛生には気を使っていますし、私は何でもありませんでした。おそらく連日の食べ過ぎに胃がついていかなかったのだと思います。何度となく苦しそうにビニール袋を抱えるドクターKを気遣いながらも、頭の中では、「このままドクターKが操縦できない状態になったらどうしようか??」という最悪の状況にそなえる考えをめぐらせ始めました。「ボブには飛行機は着陸させられないし、まずはボブを狭い飛行機の中、飛行中にどうやって後ろの席に移そうか、それともドクターKを後ろに移そうか、いずれにしてもその間どうやって飛行機を真っ直ぐに保とうか・・・・・」なんともいえない沈黙が長~~く長~~く続きます。空気を察してドクターKが、「I’m feeling better now, so don’t worry」。その後の1時間が、私には3時間にも4時間にも感じられたのですが、ドクターKの頑張りで何とか無事にプエルトペニャスコに着陸することが出来ました。すぐに飛行場の管制官長に(管制管長のアロンゾはもちろんドクターKの友達です。)車を借りて街の薬屋で胃薬を買いました。そこは薬学士でもあるドクターK、分厚いトランスレーション表を見ながらぱっぱと胃薬を買いその場で水をもらって(もちろん飲料用のボトルにはいった水です。)飲み込みました。その後、行きと同じように近くのガソリンスタンドでハイオクタンを購入し、飛行機に給油し終わる頃にはだいぶ気分は良くなったようです。そうなるとあとは時間との戦いです。というのは、この次の目的地はカレクシコというイミグレーション(移民局)のあるUSサイドのエアーポートですが、ここのガソリンスタンドは5時に閉まってしまうのです。さすがにUSサイドのエアーポートでポリタンクから飛行機に給油はしにくいらしく、ドクターKも時間を随分気にはしていました。途中、飛行機から何度となくカレクシコに連絡をし、着陸するまで給油所を空けておくようにと要請をして、5時を20分ほど過ぎた頃にカレクシコに着陸すると・・・・やっぱり!!給油所はもぬけのから・・・・なんと言っても給油所の職員は全員メキシコ人、イミグレーションの職員が言うには、4時半には皆帰ってしまったということです。給油所のドアには、緊急用の電話番号がはってあり、職員に連絡が取れると書いてあります。それを見たドクターK、何度となく電話をしてみたようですが、誰も電話に出る気配がありません。結局タクシーで町のカー用品店「Pepboy」にてポリタンクを購入し、それからガソリンスタンドでハイオクタンをピックアップするはめになりました。このときまで気が付かなかったのですが、ドクターK、実はビニール袋のねらいがはずれてズボンがびしょびしょになっていて相当気持ちが悪かったらしく、ドクターKはズボンを買いに、そして私とボブがガソリン調達にと別行動をする事になりました。エアーポートからまずはズボン屋さんでドクターKをおろし、次にPepboyでポリタンクを買い、そしてガソリンを買った後にズボン屋さんにドクターKをむかえに行く予定だったのですが、人のいいボブさん、Pepboyの前でタクシーの運ちゃんに支払いをしてしまったようで、ポリタンクを買って出てきた時にはタクシーはすでに煙のごとく消えていました。さてさてそれからもう一度電話でタクシーを呼びましたが、待てども待てども全くそれらしき姿が見えません。覚悟を決めて、まずは道を隔てたガソリンスタンドでハイオクをポリタンク2つに10ガロン(50リッター弱)づつ給油し、そのポリタンク2つを抱えてドクターKのズボン屋さんまで歩く事にしました。さすがに70を越えたボブに運ばせるわけにもいかず、私一人で10ガロンタンクを左右に一つずつ抱えて10歩進んでは休み、10歩進んでは休み・・・・ふと15年前に佐川急便勤務中におきた悪夢が頭に浮かびました。ある団地の13階にクイーンサイズベッドの配達があり、何と!!団地のエレベーターが壊れていたのです。階段を使って一人でベッドを13階まで運んだあの悪夢のような1日を・・・・・腕がもげる~・・・・と思った瞬間に、ドクターKがさっそうと窓にひびの入ったタクシーで登場、「なにしてたんだ??」。新しい折り目の入ったGパンに身をくるみ、やけにさっぱりとしたドクターKがそこにいます。給油を済ませ、ロングビーチ飛行場についたのは、夜の11時を回っていました。飛行機のエンジンを切り、ドクターKが、「また一つのメキシコ旅行が無事に終わった。」。私の「いつもこんな感じなの?」という質問に、ドクターKは「特に何かあったかい??」という答え。次のメキシコ旅行がとっても楽しみになりました。

アラモス編終わり

 

“飛べなかった・・・

実は、メキシコまで飛べなかったことが何回かあります。初めが1998年4月でした。私にとって2度目のボランティア旅行になるはずだったのですが、この日の朝は待ち合わせ場所のロングビーチ飛行場でいくら待てどもドクター Kが現れませんでした。今回は、いつもとは様子が違う雰囲気をメンバー全員が感じ始めた頃に、申し訳なさそうにドクターKが現れ、「エンジンがかからないから今回はいけない。」とのこと・・・。がっかりするメンバーにずいぶんと申し訳なくしているドクター Kでしたが、「今メカニックが直しているから、今日中には飛行機は飛べるようになるだろう。メキシコにはいけないが、明日の朝Big Bear飛行場で、朝ごはんをご馳走するよ。」という話になりました。次の日、土曜日の朝にもう一度ロングビーチ飛行場で集合し(みんな調子がいいことに、このときは誰も遅刻をしてきませんでした・・)、わくわくしながらビックベアーへと向かいました。離陸後1時間もするとまだ雪化粧の名残があるビッグベアーの美しい山々が見えてきます。山頂付近のスキー場にはスキーヤーの姿も見え、動いているリフトに人が乗っているのも見えます。残雪のある山の峰と峰の間にある飛行場に着陸するのはなんとも言えず気持ちいいですね。実は私、この飛行場には思い出があります。私が10年以上前に飛行訓練生だった頃、一度訓練でインストラクターと2人で朝ごはんを食べに来たことがある飛行場なのです。ただその時は真夏でしたので、雪はもちろんなく、高度と高い気温のために離陸するのに通常より時間がかかったことを覚えています。夏の時期は、空気の密度が薄くなり、ビックベアーでは飛行機事故が結構起こるんだそうです。特に飛行機が満席の場合は(重いので)、気をつけないと滑走路がなくなる前に離陸ができずブッシュに突っ込む飛行機も多いそうです。今考えると、当時の訓練機であるセスナ152の最大積載量は、400LB弱です。私は当時185LB、そしてインストラクターは、おそらく220~230Lb。かなりきわどい飛行訓練だったんだな~といまさらながらに思います。そうそう、飛行機の積載量で思い出しましたが、それに関するドクターKのエピソードがあります。ドクター Kには3人の子供がいます。一番下の男の子が生まれて間もないころに、愛用の自家用セスナで飛んだときの話です。前部座席にドクターKと長男、後部座席には奥さんが3男を抱きかかえその隣には2男が座っていました。そしてその後ろには家族5人分の荷物が積んでありました。何の問題も無く離陸し、目的地近くで高度を下げようとすると機首が下がらなかったそうです。後ろに荷重がありすぎると機首が下がらない状態になるそうですが、この状態で失速すると、テールストールと呼ばれるリカバリー不可能な失速状態になってしまい、とても危険な状況になるのです。そこでドクターKは、機首に加重を移すべく、まずは3男を前部座席の長男に抱えさせ、次に後部座席後ろの荷物を座席の前(足元)に移し、そして後ろの二人を前かがみにさせると、重心の位置が前方にずれ、無事にセスナの機首が下がるようになったそうです。これは実は後日、自分でも試してみました。ドクターKが眠っている間(後ろの座席の2人も眠っていました。)、私が操縦桿を握っているときに自分の身体をしばら~く前かがみ、そして次に後ろのシートに押し付けたりをしてみると、本当に微妙な体重移動で飛行機の重心が変わり、面白いように微妙に高度が変わってくるのです。一人でなんだかニヤニヤしながら操縦していたのを覚えています。話をビッグベアーに戻しますと、その日は美しく雪化粧をした山の中の飛行場に着陸し、飛行場脇のレストランに入ると、なんと満席です。たくさんのパイロットが同じように朝ごはん(もうブランチの時間でしたが)を食べにきている様子。私はビッグベアーオムレツなるものを頼むと確かにビッグベアーマウンテンのように巨大なオムレツが出てきました。支払いはもちろんドクターK、知らない間に会計を済ませているのです。このサンタクロースのようなドクターKと行動を共にしていると間違いなく太るだろうなという予想通り、毎回ボランティア旅行から帰ると最低34ポンド(1.52キロ)体重が増えているのです。次回ボランティアまでに体重を絞り、ボランティアでまた太りの繰り返しがこの先続くことになります。普通は反対なんじゃない?と誰かの声が聞こえてきそうです。


“ノースィエム(見えない蚊)“(1998年6月)

前回同様ロングビーチ空港で朝7時半に待ち合わせなのですが、私は7時ごろには既にロビーにいました。いつも私より早いボブは、やっぱり既にソファーに座って待っています。そしてドクター Kが現れたのがそれから1時間半後。そして今回は待てども待てどもセラが現れず、やっと髪の毛を振り乱して彼女が現れたのがそれからさらに1時間半近くたってからでした。理由は、「車のキーが見つからなかった。」でした(よっぽど大きい家に住んでいるのでしょうね?・・・)。後々になって分かった事ですが、6月はシーズン最後で、この時期は日も長い為かそれほどあせらなくても目的地まで日没前にたどり着けるようです。その事を皆知っているのからなのかどうなのか、メキシコに行く前から皆気持ちはメキシコ時間、待ち合わせの時間なんてあってもなくてもおんなじなんだなあ・・・と、まだまだメキシコ初級者の私はメキシコ学を少しずつ学んでいくのでした。この当時はこのボランティアがどういった仕組みで行われているのか、いったい総勢何人の人間が、どこのクリニックにどういう理由で配属されているのか、おまけにそれぞれの診療所の位置関係すらもさっぱりわからずにいました。ドクターKによると、私は今回は前回と違うエルカリッツオクリニックに配属が決まったようで(前回はエルフエルテクリニック)、いずれにしても何も知らない私は「あ~そう。」と、なるようになるさという状態でした。

シーズンがなぜ6月で終わるかというと、我々の行くメキシコは7月からの3ヶ月は雨季にあたり、暑さと雨で患者さんも集まらないし、冷房設備のないクリニックではとても治療にならないという理由からです。だからといって6月までは快適に治療ができるかというとそうでもなく、ドクターKによると、我々の行く地域はすでにかなり暑い状態だとわかっていました。さてロングビーチからアリゾナとメキシコの国境にあるカレクシコ飛行場までの1時間半の間で楽しみなことがあります。それはドクター Kの奥さんが作ってくれる機内朝飯です。日本から来た本物の日本人(私の事です)が一緒だからと、奥さんが前日からスパムを醤油ずけにして作ってくれるスパム寿司のうまいことうまいこと(ドクターKとの付き合いも長くなった今では、毎年お正月に招待されるのですが、おせち料理の豊富な種類といったら・・本当の日本人とは多分ドクターKのように日本文化を大切にしようという気持ちが我々よりも強い日系人のことを言うんだと思います・・)。ドクターKが、スパム寿司をもっと食えと促しながら、今の内全部食べないとすぐにだめになると言います。成る程その通り、カレクシコに着陸するために高度3000フィートまで下りたころには飛行機のエアーダクトから熱風のような空気が入り込んできました。着陸するとさらに暑く、おそらく100度(摂氏38度)はゆうに超えていたと思います。さてその後メキシコへの国境を越え、いつものプエルトペニャスコ、そしてオブリゴンで燃料を補充し、夜はアラモスに宿を取ります。この夜はアラモスの広場に大きなテントが張ってありました。驚いた事に偶然にもサーカスが来ていたのです。といっても田舎町に来るサーカス、空中ブランコはありませんし象さんもいません。本当にベーシックなアクロバットショーと、楽しいピエロが街の子供たちを楽しませています。なんだか小さい頃に公園で待ち焦がれた紙芝居のおじさんのことが、なぜだか知らず思い出されました。この日は、部屋に備え付けの30年前くらいのエアコンをつけっぱなしでも涼しくならずに、おまけにその壊れたモーターの不規則な騒音で・・結局朝まで寝たんだか寝なかったんだか・・・・

 

さて次の朝は、エルカリッツオクリニックです。ここはもともと教会の建物を改築して診療所に作り変えたクリニックで、壁画にさらに手が加えられて、Flying Doctorや現地のボランティアたちの絵がいたるところに描いてあります。私が通された治療室は、なんとドアのない穴倉のような部屋。ボランティアの人たちが何とか治療室になるようにと入り口に白いカーテンをガムテープで止めてくれました。一人二人と治療するうちに、蒸し暑さで汗がぼたぼたと滴ってきます。見かねたボランティアが扇いで風を送ってくれるのですが、一向に私の汗は止まりません。ふと気がつくとなんだか両腕がとてつもなく痒いことに気が付きました。見ると黒い小さい虫のようなものが両腕に何十匹もとまっています。なんじゃこりゃ~~!!思わず手を振りこの小さい虫を振り払えども払えども、砂糖に群がるありのように私の腕、首、顔に群がってきます。たまらずに逃げるように治療室を出てみたものの、外に出ても大して変化はありません。このクリニック実は川っぺりにあり、夏はこのにくたらしい“ノスィエム”という蚊が大量発生するらしいのです。ノスィエムとは見えないという意味です(なるほど・・)。200箇所くらい刺されたでしょうか(ちょっと大げさですが・・)、蚊にまでボランティアをしてしまいました。